1988年 鈴鹿

まず、ごめんなさい。 PHOTO観戦記、と言いながらこの年の写真は在りません。

1988年は、私が始めてF1を生で観戦した年だ。 しかし、それは偶然から始まった。

10月24日 月曜日
当時、仕事が超忙しい状態で、常に出張し深夜迄残業していた。 そしてこの日、その月初めて事務所へ出社、出張の報告と精算を行った。 すると160時間以上の時間外勤務と判明 (労働基準法違反だ!) 、所長より来週まで代休を取る様命令されてしまった。
突然の休み、どう過ごすか考えていた所、週末に日本GPがある事を思い出す。 今まで、TV観戦は欠かさないが、生で観る事など思いもよらなかった。 当然チケットも無い、当日券があるかも判らず如何しようか考えた結論は、HONDAのセールスマンに頼んでみる事だった。 以前からF1ファンであるから、当然、車はHONDAである。
外出中だった知り合いのセールスマンと、なんとか連絡を取り頼んでみると、調べてくれるとの返事、結果は明日までのお楽しみ。

10月25日 火曜日
セールスマンよりOKの連絡がある。 チケットは水曜日の午後にディーラーに届くとの事。
早速、観戦の準備に取り掛かるが、何を用意したら良いか判らない。 以前、F2を観に富士へ行った時を思い出し用意をする、まあお金さえあれば現地で何とかなるさ!
それから、鈴鹿市のホテルを調べ、次々に電話で空室を探す。 しかし、当たり前ながらすべて満室だ、仕方なく名古屋に変更し、さらに電話しまくる。 結局、以前に出張で泊まったビジネス・ホテルが予約出来た。

10月26日 水曜日
午後、チケットを取りにディーラーまで出かける。 待望のF1チケット、週末のレースに向け期待が高まる。
遠足の前の子供の様に、チケットを枕もとに置き、就寝する。

10月27日 木曜日
いよいよ出発だ、午後からビジネス・ホテルのある名古屋に向け、車を走らす。
夕方ホテルに到着、明日に向け早めに就寝するが、なかなか寝付けない。 結局、寝たのは夜更け過ぎであった。

10月28日 金曜日
朝7時頃ホテルを出発、とうとう憧れのF1観戦だ。
しかし東名阪の鈴鹿出口はすでに渋滞、なかなかサーキットには辿り着けない。 駐車場に入る途中で、フリー走行の時間となり、エキゾースト・ノートが響き渡る。
駐車場に車を止めると直ぐに、サーキット正面ゲートに向け走るが、鈴鹿は初めての為勝手が判ら無い。 サーキットに入ったと思ったら、そこはまだ遊園地だ。 またサーキット・エリアまで走る事にする。
サーキット内にやっとの事で到着するが、そこはグランド・スタンド前。 指定席のチケットは持っていないので、自由席エリアを捜すがよく判らない。 何となく人の流れに乗り、トンネルを潜りN山に到着。
やっとコースが見える場所に出る、思わずフェンスにへばり付くと、そこはピットロードの脇である。 そこに、走行を終えたマシンがスローダウンしてピットインして来た。 それはマクラーレン・ホンダMP4/4に乗った、アラン・プロストであった。
今まで遠い存在に思えたF1が、目の前の数メートル先を走る。 それも稀代の名ドライバー、アラン・プロスト。 思わず、コースに入りプロストのマシンに轢かれたい!、と思ってしまう程であった。

この後の記憶は殆んど無い。 ただ感激してマシンを見つめていた様だ。

午後の予選の後、中島悟さんの乗るキャメル・ロータスのウインド・ブレーカーを買い、名古屋のホテルに帰る。
気が付けば、今日は私の誕生日だ。 夕食にはワインを飲み、記念すべき一日を祝福した。

10月29日 土曜日
昨日の興奮を胸に、2日目になる、今日は5時半頃と早めに出発、渋滞を避けるつもりだ。
ところがサーキットまで遠い所で足止め、なんと周辺の駐車場はすでに満車で通行出来ない。 河川敷の臨時駐車場に車を止め、サーキットまでは無料バスで移動する。
やっとの思いで到着、今日はダンロップ・コーナーで観戦する事にする、昨日と異なりかなり落ち着いて観戦出来た。
予選結果は予想通り、アイルトン・セナとアラン・プロストのフロント・ロー、中島悟は6番手、スポット参戦の鈴木亜久里は20番手、明日の決勝が楽しみだ。

10月30日 日曜日
いよいよ決勝当日、4時過ぎには出発して観戦場所取りに行くが、サーキットは前日からの泊まり込みの人ですでに満員。 初めての観戦で状況が判らず、常に障害だらけだ。
何とか逆バンク手前の丘に片隅に僅かな隙間を発見し、観戦場所を確保する。 足場は悪いが、東コースを見渡せる良いロケーションだ。
寒さに震えながら、キャメルのウインド・ブレーカーを重ね着し、夜明けを待つ疲れがどっと出てくる。 朝のフリー走行が始まり、やっと元気が出るが、その後朝食を取ると疲れからか睡魔に襲われる。 サポートイベントのF3レースも、半分眠りながらの観戦になってしまった。 F1決勝の時間までは、暫しの休憩だ。

午後1時、とうとう決勝のスタート。 緊張の瞬間、サーキット全体が固唾を飲んで見守る。 ところがアイルトン・セナと中島悟は、エンジン・ストールで出遅れる。 期待のHONDA、2台が遅れるが、その後の追い上げで盛り上がる。
途中、NAのマーチを駆るイヴァン・カペリの一周のみのラップ・リーダーに観客も大喜び。 マーチのデザイナーは、若き日のエイドリアン・ニューウェイである。
レース中盤、マクラーレン・ホンダの2台がチャンピョンを掛けてのバトル。 28週目、素晴らしい走りでアイルトン・セナがアラン・プロストを抜きトップに、そのままリードを広げる。 初めはプロストを応援していた私も、セナの激走を見て感激、この結果には満足。
後は、7位の中島悟の入賞に期待がかかるが、残念ながらそのままゴール。 レース後 “スタートのエンスト後、誰かが押してくれた” とのコメントを聞き意味が理解出来ずに、他のマシンが軽く接触したと思った。 しかし後に、中島悟選手のお母さんがレース前に亡くなった事を聞き、また感激する。

レース終了後、東コースを使用してのゴーカート走行に並ぶ。 かなりの待ち時間の後に順番が来、少し暗くなり始めたサーキットを走り始める。 まず、6番グリッドに止まり、それから全開走行、気分は中島だ! F1の終了したばかりのサーキットを風を切り走る、大満足。
すっかり暗くなった頃帰途に着くが、駐車場までのバスは長蛇の列、数キロを歩く事にする。 やっと車まで戻るが、駐車場も出口が混雑、何とか帰る事が出来たがもうくたくた。

事前の準備無しの観戦旅行だが、充実した一週間でした。
チェッカー