ミハエル・シューマッハー
度目のドライバーズ・チャンピョンまでの軌跡



1991年R15 鈴鹿 リタイア
この年のベルギーGPで、ジョーダンからデビュー、いきなり予選7位に付け、周囲を驚かせる。
さらに、次のイタリアGPではベネトンに電撃移籍、注目を浴びる。
鈴鹿では、130Rでクラッシュしながらも予選9位。
決勝は、6位走行中にエンジン・トラブルで、惜しくもリタイア。


総合順位 13位
1992年R16 鈴鹿 リタイア
2年目となるこの年は、開幕から常に上位を走り、ベルギーGPにおいて、わずか18戦目で初優勝。
鈴鹿でも予選5位に入るが、決勝は13周目にスローダウン、リタイアとなる。

総合順位 3位
1993年R15 鈴鹿 リタイア
前戦のポルトガルGPで2度目の優勝、完全にトップ・ドライバーの一員となる。
鈴鹿でも予選4位と好調、しかしレースでは11週目のシケインでデーモン・ヒルと接触、フロント・サスペンションを壊しリタイア。

総合順位 4位
1994年R2  英田 優勝
アラン・プロストが引退し、当時最強と言われたウイリアムズに移籍したアイルトン・セナの独走かと、シーズン前には思われた。
しかし開幕戦でシューマッハーが圧勝、続く英田でもP・Pのセナが1コーナーでスピンするのを尻目に快走、2連勝を飾る。

1994年R15 鈴鹿 2位
最大のライバルで在るはずのアイルトン・セナが、サンマリノGPで亡くなり、チャンピョン争いはその後を継ぐデーモン・ヒルに変わっていた。
予選ではP・Pを獲得するも、決勝日の朝のフリー走行ではスピンをする。
雨の中での決勝では、珍しくピット作戦が失敗、2位になる。
続く最終戦で、デーモン・ヒルと死闘を繰り広げた結果、36週目に激しく接触、双方共にリタイアとなり、ドライバーズ・チャンピョンとなる。

総合順位 1位
1995年R15 英田 優勝
昨年に続き、デーモン・ヒルとのチャンピョン争い。
予選3位をスタートで5位まで落としながら、見事な走りと絶妙なピット・ワークで逆転、史上6人目の2連覇を達成する。

1995年R16 鈴鹿 優勝
2週連続開催となった鈴鹿。
先週ドライバーズ・チャンピョンを決めた勢いをそのままに、予選から独走してP.Pを取る。
決勝のレースでも、他を寄せ付けない走りで優勝、ベネトンにコンストラクターズ・チャンピョンをプレゼントする。


総合順位 1位
1996年R16 鈴鹿 2位
カーNo1を土産に、フェラーリに移籍。
低迷のフェラーリの再建に努力するが、チャンピョン争いには加われない。
このレースも2位に入るが、デーモン・ヒルを脅かす存在ではなかった。


総合順位 3位
1997年R16 鈴鹿 優勝
P.Pのジャック・ビルヌーブを、エディー・アーバインとの見事な連携で下し優勝。
最終戦でチャンピョンを争うが接触、その後ポイント剥奪されてしまう。


総合順位 なし
1998年R16 鈴鹿 リタイア
F3時代からのライバル、ミカ・ハッキネンとの熾烈なチャンピョン争い。
P.Pを獲得するも、2度目の再スタート時にエンジンストール、最後尾から3度目の再スタートとなる。
見事な追い上げも虚しく、32週目にタイヤ・バーストでリタイア。
またもチャンピョンを逃す。


総合順位 2位
1999年R16 鈴鹿 2位
シーズン当初は、今年もミカ・ハッキネンとのチャンピョン争いと思われたが、イギリスGPでまさかのクラッシュ。
3ヶ月後の復帰時には、僚友のエディー・アーバインのサポートをする事に。
存在感のあるレースを見せ、16年ぶりのコンストラクターズ・チャンピョンをフェラーリにもたらす。


総合順位 5位
2000年R16 鈴鹿 優勝
PPを獲得したミハエルであったが、スタートでミカ・ハッキネンがロケット・スタートで1コーナーを征する。
しかし、ここからがミハエル+フェラーリの本領発揮、小雨の中40周目のピットインでミカ・ハッキネンを逆転、フェラーリ念願の21年ぶりのドライバーズチャンピョンを獲得する。

総合順位 1位